2014年6月21日土曜日

文章記述力とプログラミング能力の関係

昨日、プログラムを読むことに読解力が関係すると書きました。ではプログラムを書く方はどうなんでしょうか。僕はプログラムを書く方についても、少なからず文章を書く力(特に論理的文章を書く力)が影響すると思っています。

これは、時代の変化という影響もあると重んですよね。例えば、昔はマシンのスペックが今よりもずっと貧弱であったため、プログラム自体の容量を小さくする必要があり、ソースコードそのものを短くすることに結構意味がありました。

ところが今はメモリ容量は劇的に多くなり、プログラム自体の容量なんか、普通に記述する分にはまるで気にしなくてもいいと言っても構わないくらいになりました。つまり、無理に短く記述するよりも、ロジックに無駄さえなければ、少々ソースコード自体が増えても分かりやすい書き方を選択する意味のほうが大きくなったと言えると思います。メモリ消費という意味ではソースコード自体よりも、ロジックの実行時に消費する用が重大であって、その意味でもロジックを整理してわかりやすく書くことで、無駄なロジックを紛れ込ませて余計にメモリ消費するリスクも減らせます。

というのは、昔はプログラムというのはある程度の時間を掛けて書き、一度書き上げてシステムに組み込んだら、その後はあまりいじらないことも多かったわけです。だから完成後のソースコードが読みやすいかどうかというのはあまり意味を持たなかったかもしれません。

ところが、今はプログラムを素早く仕上げ、さらに頻繁に書き換える、しかも担当者も違うという状況も珍しくありません。となると、自分以外の別の担当者が読んで分かりやすいコードを書くことには大きな意味があります。

ロジックを分かりやすく整理し、他人に読みやすいということが重要、となると、これはまさに論理的文章の記述力がプログラミングにもリンクしてくる状況になったと言ってもよいと思うのです。実際、世界的に有名な開発者は文章も上手かったりしますし。

プログラムは単に動けばよいという時代はもはや終わっているというのは、すでに周知の事実でみんな分かっていることでしょう。読み手のことを考えるコーディングが求められていると思います。

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